8月15日、第37回スピーチコンテストが開催されました。
小学生の部の平和作文コンテストで優秀賞に選ばれた松久保李仁さんの作文を原文のまま紹介します。
「共に生きる」
知覧小学校6年 松久保 李仁
ぼくの住む知覧には、戦争のなごりがたくさん残されている。平和会館には、戦争に関する資料や遺品が置かれ、周りには、戦闘機のレプリカが配置されている。そしてこれらを見るために、たくさんの観光客がおとずれる。
ぼくたちは、この場所で育ってきた。ぼくたちには、観光におとずれる方々とは違う景色が見えていると思う。いつもサッカーをする場所のすぐそばには、戦時中に使われていた給水塔や防火水そうがあり、少し歩けば知覧飛行場の正門があった場所がある。ぼくたちが遊ぶ公園には、飛行訓練に使われたしせつの一部もある。ぼくたちにとってこれらのものは意識して見なければ、通り過ぎてしまうもの。何気なく過ごす毎日の景色の一部に戦争の悲しみや苦しさを感じたことはない。
ただ八十数年前までこの場所が日本にとってとても重要な最前線基地であったことは事実であり、悲しくつらい思いをしていた人が、「悲しい」と言えない世の中であったことも事実だ。
僕の周りには戦争を知る人はいないと思っていた。以前、姉の夏休みの課題で特攻平和会館に行った。そこで見た資料の中に、知覧でもアメリカ軍が落としたばくだんによってひ害があったことが書かれていた。読んでみるとその場所が、ぼくの住む所であることに気付いた。気になったぼくは、すぐ近くに住む祖父母に聞いてみた。そしたらばくだんの落ちた場所の一つが祖父母の住むこの家のしき地であったことを知った。落ちたばく風により祖父のおばあちゃんが亡くなったそうだ。
昭和二十年五月五日。空しゅうけい報が鳴り、防空ごうに逃げようとしたが、大切な書類を持っていなかったことに気付き、取りに帰ったところ命を落としたと聞いた。祖父の家は、軍事施設ではない。普通の家で普通に過ごしていただけなのに。元気に毎日を過ごしていたはずのおばあちゃんは、たった一つのばくだんによりいなくなってしまった。ぼくの先祖も戦争被害者だった。この話を聞きぼくは、とても悲しい気持ちになった。おばあちゃんを亡くした家族は、もっと悲しくて憎くてたまらなかったにちがいない。同じような思いをしていた人々が日本中にたくさんいたはずだ。それでもつらさやくやしさを口に出せずにたえてきた。ぼくには、この気持ちを表せる言葉が見つからない。
戦争とは、何のために戦ったのかぼくには理解できない。ただ戦争だけは繰り返していけないことは分かる。残されたものと一緒に生活していき、この悲しい過去を振り返ることが、この知覧に生まれ育ったぼくたちの役目であると思う。
(作文の無断転載はお断りしています。)
審査結果
中学生の部
- 最優秀賞 前田 あおい さん(鹿児島修学館中学校3年・鹿児島市)
- 優秀賞 中原 瑠唯 さん(面縄中学校3年・伊仙町)
- 特選 内山 八穂 さん(三島硫黄島学園8年・三島村)
高校生の部
- 最優秀賞 坂田 彩華 さん(学習院女子高等科3年・東京都)
- 優秀賞 中平 綾乙 さん(高知学芸高等学校3年・高知県)
- 特選 長濵 有祐実 さん(鳳凰高等学校2年・南さつま市)
- 特選 池畑 まり さん(鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校3年・鹿児島市)
一般の部
- 特選 岩﨑 楓子 さん(薩摩川内市)
学校賞
- 学校法人津曲学園 鹿児島修学館中学校(鹿児島市)
- 学校法人須磨学園 須磨学園中学校(兵庫県)
- 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校(鹿児島市)
