懐かしい写真を見ながら、かつての「音更」を思い出す「おとふけ回想録」。あの頃の音更にはどんな風景があって、何をしていたのか。思い出は人それぞれ違うもの。長く音更に住む人たちに集まってもらい、思い出話を座談会形式で語ってもらいました。
左から南出匠さん、山本英明さん、谷本美詠子さん、木野村英六さん、生涯学習まちづくりプロデューサー上野山彰
司会(上野山、以下司) 今回は、下音更小学校(昭和46年度卒)、同中学校(昭和49年度卒)を卒業された皆さんにお集まりいただきました。早速ですが、当時を思い出していろいろお聞かせください。
司 小学校は木造校舎と鉄筋校舎が混在していましたね。
南出(以下南) 校舎の東端に滑り台があったよね。
山本(以下山) 2階から避難するための木造の滑り台だけど、特に避難訓練で使うこともなく滑って遊んでいた。ところで、体育館の横に古い木造校舎があったような…。
司 鉄筋校舎が完成するまでの間、古い校舎を移築して使っていたようです。
※鉄筋校舎は昭和40~46年にかけて建てられた。
谷本(以下谷) 当時、1クラスは40人ぐらい?
木野村(以下木) 学年4クラスあったね。
※昭和46年度児童数967人、ピークは49年度1261人。
運動会は足袋
下音更小学校で行われた運動会の様子(昭和49年撮影)
谷 運動会は狭いグラウンドでしていた。そういえば応援する家族でごった返していた。そういえば足袋を履かされた。
山 足袋は当時、衣料品店だった「きよと」で買った。
木 グラウンドに一列に並ばされて石拾いをやらされたね。
谷 朝、マラソンの練習やったの覚えていない?おかげで鍛えられた。学年が上がるにつれて、走る距離が長くなった。
南 神田坂を上って鈴蘭公園まで行ったっけ。
木 校舎と体育館の間に自動車学校のような自転車の練習コースがあった。
山 信号機もあったね。
南 自転車免許がないと自転車を乗ってはいけないというルールだよね。
司 農協前の歩道で検問をしていて、上級生が検挙されそうになりました。
山 自宅から学校までが遠くて、遅刻しそうになるとバスに乗って病院入口で降りたなー。
木 今は「病院入口」とは言わないね。
※戦後、中鈴蘭に国立十勝療養所(現、国立病院機構帯広病院)があり、坂の下の木野大通8丁目の停留所名は「病院入口」だった。
谷 帯広市児童会館での宿泊学習が楽しかった。初めてナイフとフォークを使って洋食の食べ方を教わった。
南 箸以外持ったことなかったからね(笑)
下音更小学校の空撮(昭和43年撮影)
小学校時代の思い出を語る山本さん
陸軍払い下げの体育館
「中学校の体育館は本当に古かった」と話す南出さん
司 中学校はどうでしたか。
南 体育館は古かったね。
※体育館は昭和49年新築。
山 それまでは陸軍の高射砲の車庫を流用していたらしい。
南 バスケの3ポイントシュートができないぐらい天井が低かったし、床に穴が開いてけがをした生徒もいたと聞いた。
空き瓶は10円
横断歩道を渡るこどもたち(昭和46年撮影)
司 ところで、こどもの頃の遊びや街並みなど、記憶をたどってください。
南 木野大通東7丁目の公営住宅の横に公園があったので、木野村とソフトボールをして遊んだ。
山 鈴蘭公園の下に池があって、貸ボートをやっていたよね。
谷 私は関根商店(木野大通東5丁目)のくじ引きが楽しかった。お祭りの日はお小遣いをもらえるので、関根商店に行ったなー。
木 竜文堂書店にも行ったね。初めは木野大通西5丁目にあった。その後、移転したね。
谷 及川商店(木野大通東6丁目)は御用聞きをしていて、母がよく注文していた。
司 及川商店から東にいくと小川商店があって、花火や釣り竿を買いました。
南 小川商店では、一升瓶やホームサイズ(500㍉)のコーラの空き瓶を持って行くと、1本10円で引き取ってくれた。当時は堤防や川に行くとごみがたくさん落ちていて、拾った空き瓶をリヤカーに乗せて小川商店に持って行った。そのお金で花火を買ったなー。
背が伸びる馬糞を踏む
昔の商店について語る左から木野村さんと谷本さん
山 あの頃、馬車も走っていたから、道路に馬糞が落ちていたよね。
谷 馬糞を踏むと背が伸びるって言われていたので、一度、友達の家に行く途中で硬めの馬糞を踏んだことがありました(笑)
司 木野大通東8丁目に松田牧場があって馬がたくさんいました。
南 その近くには橘公園という池もあったよね。
谷 川狩りもしたね。
※川狩り…川原に大勢で行く日帰りキャンプ。
山 昔はプールがなかったから水泳といえば川だった。
南 クラスで音更川へ行って水泳の授業をしたもんな。
木野駅とSL(蒸気機関車)
木野駅でSLを撮影(昭和50年撮影)
司 国鉄士幌線の木野駅は利用しましたか。
南 糠平温泉のスキー場に行くのに乗った。
山 俺は広尾にキャンプに行くのに乗った記憶がある。
南 当時、十勝三股と広尾を結ぶ急行があったと思う。
谷 中学校の学級キャンプで厚内に行くとき、木野駅に集合して、重たいスイカを友達と持って、帯広駅で乗り換えて行った。
山 あの頃はSLが普通に走っていた。
司 学校へ行くのに必ず踏切を渡らなければならなかったけれど、しょっちゅう踏切が降りていて、SLがシュッシュッシュッと白い煙を吐きながら走っていましたね。
木 士幌線がなくなって寂しくなったけれど、なくなったら、その跡地に木野支所やハピオなどができ、木野市街が発展したような気がする。
司 懐かしいお話をありがとうございました。
写真から思い出すことは人それぞれ違うはず。皆さんも家族や友人と、かつての音更を懐かしみ、思い出話に花を咲かせてみてはいかがでしょうか。今後も「おとふけ回想録」を不定期で掲載していきます。
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生涯学習センター ☎42-4099、役場秘書広報課広聴係(内線209)
