「子供の頃は大の野菜嫌い。でも飛騨の婆ちゃんのトマトを食べたら一変!」。宮川町杉原で長九郎農園を営む、松永宗憲さんだ。昭和54年に名古屋市で誕生。飛騨市出身の父は、道路建設の会社に勤務。全国各地へ転勤を繰り返した。小学校入学の年、一家は岐阜県可児市に居を据えた。静岡の大学へと進学。機械工学科でエンジニアを目指した。卒業後は、静岡の輸送機器メーカーに入社。

2007年、高校時代の後輩、さやかさんと結婚。「30歳くらいで進路を変え、違う世界を見たい想いがあったんです。そしたらリーマンショックが!」。よもや人生の分岐点か?
「違う世界って?でも食べてかなきゃ?食に繋がる仕事って?…農業?」。自問自答が続いた。「その時、飛騨の婆ちゃんの、トマトの味を思い出したんです」。
農業の基礎を学ばんと、可児市の農業大学へ。しかも県内で農業を始めれば、サポートも受けられる!またもや婆ちゃんのトマトの味がした。夫婦で飛騨市へ移住。トマト農家で、春から秋まで研修を積んだ。
2011年春、2反の畑を借り、7棟のビニールハウスを設置。6棟に師匠直伝の大玉「桃太郎」、残りの1棟で有機栽培のミニトマトを試験栽培。「2年目は、桃太郎も有機栽培で試みたんです。でも全然ダメ。仲間と情報交換し、肥料の配合や水遣りなどをデータ化。全てを体系立て肥料の設計に取り組みました。今も試行錯誤ですが、ここ5年位でやっとこれでやれるかなぁって」。妻と相談し品種も増やした。「家のミニトマトのファンは、圧倒的に女性。妻も『こんな色合いのがあったら、お料理やお弁当にも映える』と。女性目線で提案してくれて」。農閑期には、ミニトマトを扱う飲食店へも出向く。オーナーやお客さんの声を直接聞き、愛用者の声をネットでも収集。「お客様の顔が見えると、モチベーションも上がります」。多くの女性ファンの支持で、ミニトマト作りも15年目を迎えた。

「長九郎とは、江戸の後期から受け継がれる我が家の屋号です。名字の無い農民ですから、初代の『長九郎』を苗字代わりに屋号としたんでしょう。農園を始める前、代々受け継がれた『長九郎』と刻まれた印を、爺ちゃんが差し出したんです。この名を消してはならぬ!それで『長九郎』を冠したんです」。先祖累代の農夫の血を纏い、ご先祖たちの加護を乞うかのように。
「毎年土壌調査もやってます。土壌は命ですし、来春生まれるミニトマト達にとって、晴れの舞台ですから」。4月の苗作り。5月末には畑へ定植。脇芽取りと誘引作業。7月中旬に出荷へ。我が子を愛しむ様、一つ一つ手摘みされたミニトマトたちは、御包みに包まれるようにお客様の元へ。「お客様が『ワーっ、美味しい』って笑顔になるのを想像しながら。私たちが本当に美味しいと、太鼓判の押せるトマトを、夫婦で愉しみながら育ててるんです」。
「前職は年中、エアコンの効いたデスクワークでした。でも飛騨の大地に立てば、四季折々、大自然の厳しさや大らかさが感じられ、最高に幸せです」。
先祖のDNAに導かれ飛騨へ。機械相手だったエンジニアは、この地で農業をデザインする男になった。
宮川町 松永 宗憲さん
まつなが むねのり
市ホームページでは、フルバージョンやこれまでの連載もご覧いただけます。
文/オカダミノル
(飛騨市観光プロモーション大使)
イラスト/波岡孝治
(のみながらにがおえ師)
é£›é¨¨ã ³ã ¨è¨€ã ®è‘‰ç¶´ã‚Šï½žå®®å· ç”ºãƒ»æ ¾æ°¸å®—æ†²ã •ã‚“ – é£›é¨¨å¸‚å…¬å¼ ã‚¦ã‚§ãƒ–ã‚µã‚¤ãƒˆ
