指定日:昭和39年12月25日
所在:個人蔵
市内には、国や県、市が指定した文化財がキラ星のごとく光り輝いています。このコーナーでは、数ある文化財の中から代表的なものをシリーズで紹介します。
国友村(長浜市国友町)は、安土桃山時代から江戸時代にかけて堺(大阪府)と並ぶ鉄炮(火縄銃)の二大生産地でした。湖北地域を浅井久政やその息子・長政が支配していた頃には、国友製の鉄炮が特産品として贈答されており、その後、織田信長・羽柴秀吉・石田三成・徳川家康といった当時の権力者と関わりながら成長し、慶長十年(一六〇五)に幕府御用鉄炮鍛冶となりました。
今回紹介する資料は、国友鉄炮鍛冶職人たちが仲間の結束を誓った文書です。複数人が一つの書面に署名し、印や花押を据えた書状を「連判状」といい、①慶長十六年(一六一一)、②元禄十年(一六九七)、③宝永五年(一七〇八)、④天明三年(一七八三)の四通が伝存しています。現在は、四通がまとめて一つの巻子に納められています。それぞれに①四十一名、②三十八名、③三十九名、④三十一名(ほかに苗字のみが二名)の鉄砲鍛冶たちの名前が記されています。
①は、慶長十六年に定めたもので、仲間の掟に違反した者の家督の没収と、許可なく国友の地以外において、鉄炮の修理などをした場合には鍛冶道具を没収されることが定められています。この資料は、鉄炮鍛冶職人の一人である国友源右衛門家に保管されているものですが、連判に名前を加えている者は、それぞれこの掟を保存していたものと推定されます。
最も年代が新しい④は、様々な組織内の揉め事に起因して、国友鉄炮鍛冶職人の同業者組合である仲間制度が崩壊していく直前の時期に出されたものです。自己を犠牲にしてでも、倹約して鉄炮製作を完遂することを誓ったもので、当時の鍛冶職人たちの厳しい財政状況がわかります。
これらの資料は、江戸時代初期の大量生産期から中・後期の安定期、そして退潮期にいたる、それぞれの時期の状況や仲間数を知ることのできる貴重なものです。

▲①国友惣鍛冶定書
問合せ
長浜城歴史博物館 63-4611
