市民の皆さんの活躍や生き様を飛騨市観光プロモーション大使が紹介
河合町『年に10日しか暖簾を出さぬばあちゃん食堂~お世話係 田口理子』
「子ども食堂」ならぬ「ばあちゃん食堂」が、河合町にあると耳にし、お世話係の田口理子さん(74)を訪ねた。
理子さんは昭和27(1952)年に、旧河合村稲越の農家で誕生。高校を出ると高山の絹糸製造会社に就職した。「お金貯めて大学へ行きたかったんやさ」。ところが1年半後、父が病を患い会社を辞した。「河合村の役場職員に採用してもらって、河合中学校の寄宿舎で、舎監を務めさせてもらったんや」。雪の多い12月から3月一杯、寄宿舎に泊まり込み、生徒たちの食事の準備や洗い物、就寝まで生徒たちの相手をした。
そして1年半後。保育士試験を受験。昭和48(1973)年4月、保育士の夢を叶え、河合保育園で保育士へ。その2年半後には、角川出身の雄二さん(72)と結ばれ一男一女を授かった。「河合スキークラブに、わたしも仲間してもらったのがキッカケ。主人は名古屋の会社に勤務しとって、週末の半ドンを利用しては、スキーやりに河合へ帰って来て、わたしら皆のアッシーしてくれとったんやさ」。皆のアッシーはやがて、理子さん専属の人生の伴走者となった。
平成16(2004)年、古川町、河合村、宮川村、神岡町の2町2村が合併し飛騨市が誕生。平成19(2007)年、34年勤務した河合保育園を退職。その年、理子さんの実家が、高山へ移転。「実家が空いてまって、田んぼ5反の内の2反を畑にして、残りの3反を蕨畑にして、わたしはそのお守役」。その4年後には、河合中学校も古川中学校に統合された。「中学がなくなってまうと、町が疲弊して淋しくなってまう。河合をなんとか元気にしたい」。そんな想いを抱く者が集まり、河合町振興協議会を立ち上げた。「保育園の給食用に食材を提供する『豆菜会(まめなかい)』や、『子ども応援部会』に『親雪(しんせつ)部会』やら」。
そして令和4(2022)年11月、部会のメンバーの一人、板屋昌子さん(77)が呟いた。「地域交流サロンの中で、食事を出したり、ゆっくり食べてもらったり、皆で交流できる場があるとええなぁ。オラ、そーゆーのやってみてぇなぁ」と。それが「ばあちゃん食堂」の始まりだった。
献立の考案から食材の手配、厨房の切り盛りと調理は、言い出しっぺの板屋さん。「わたしゃあ、お客様相手のお世話係り兼小間使い」。「ばあちゃん食堂」は3月~12月までの月に1日、年に10日だけ開店する。1日4回の入れ替え制。定員は、1回12~13名の完全予約制。毎回季節により献立は異なるが、肉や魚は使わぬ菜食中心の料理だ。「安価で安全安心、地の野菜やら山菜を使った、昔から飛騨の人らが食べておいでたであろう、そんな郷愁をそそる故郷の味。野菜もメンバーが作った物を持ち寄って!」。毎回献立は1種類だけ。「おいでる方はほとんどがリピーター。だからお客さんの名前まで覚えちゃっとるんやさ」。食材等の準備は前日から行われ、ばあちゃん食堂開店日は、朝8時30分に集合となる。
今日も「ばあちゃん食堂」のファンたちは、年にたったの10日だけ暖簾が掛かる日を、一日千秋の想いで待ち焦がれているだろう。
文/オカダミノル(飛騨市観光プロモーション大使)
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