「私は宮川町が大好き!」。平澤百合さん(58)は、昭和42(1967)年に宮川町で誕生。吉城高等学校卒業後、農協に勤務。3年後に辞し、教育委員会でパートをしつつ、佛教大学通信講座で学び、教員免許を取得。「養護教員の資格が欲しかったんやさ」。やがて富山県の知的障がい者施設へ、実習に行く機会が訪れた。「2ヶ月後。富山の施設から、生活支援員の仕事に来るようにって」。土日勤務も夜勤もあり、不規則な勤務を余儀なくされた。
翌年、千人(ちひと)さん(68)と結婚。「主人は理解があって、私が夜勤の度、子ども達の面倒を見てくれとったんやさな」。
「強度行動障がいの方は、言葉数が少なく意思の疎通もままならない。でも同じ時間を過ごす内に、何を訴えたいかが、言葉の壁を越え伝わって来たんです」。知的障がいと言えど十人十色。入所者の心を斟酌し向き合わねばならない。
百合さんはそうして、四半世紀を勤め上げた。「入所者の方たちが、富山の地区で開催されていた、駅伝やマラソン大会に行きたいと言い出して。何とかそれを叶えようと、皆で参加したんです。その中の1人、重度の精神障がいだった方が、30代の若さで亡くなったの。ご葬儀の後お姉様が『この子の人生で一番輝いていたのは、皆さんと一緒にマラソンしていた時でした。参加賞のTシャツをとても大事にしてましたから』って。夢中になって走っている間は、何人(なんぴと)にも立ち入られない、心のバリアフリーが叶えられたひとときだったのかも・・・」。百合さんの瞳が潤んだ。
平成16(2004)年10月、第1回「宮川マラソン」を開催。「飛騨市が合併した年で、宮川村マラソン大会は中止になると言われて。宮川の子どもたちがマラソン出来なくなってはと、皆で奮闘したんやさ」。
9年前に始まった地域複合サロン『よらまいか』では、JAが閉店しちゃって買い物が不便になってはと、宮川振興事務所が主体となって、生協さんを呼んで買い物支援サロンを月1で開いたんです。その1回目の時に、『おめも、サクラで来い』って言われて、お手伝いしたらこれが面白くって、それで始まったんです」。それが縁で、宮川小学校学校運営協議会の委員に。令和4(2022)年には、地域学校協働本部の本部長へ。「地域と学校を結ぶ活動で、授業で『たんぼ』について学びたいと言えば、農家の達人を紹介したり」。
現在宮川小学校は、全校生徒8名。「今は少子化で運動会も地区との合同。修学旅行は河合小学校と合同で、5~6年生が一緒に」。もう子どもも大人も沢山いた時代ではない。だから百合さんは、一人二役どころか、一人十役を背負う。
令和6(2024)年には、飛騨市制20周年記念に「飛騨市リレーマラソン」を開催。「補助金もいただけたし」。百合さんがこっそり嘯(うそぶ)いた。
「何で自給自足できる魔女かって?魔女の宅急便のキキのお母さんみたいに、ユキノシタを煎じて解熱したり、ヨモギを摘んで切り傷に葉の汁を塗ったり、そんな魔女を目指してるの」。
百合さんが支え、逆に支えられた、全力を奉じた地域愛は、いつしか人間愛を育む『尊い博愛』となった。


宮川町 平澤 百合(ひらざわ ゆり)さん

文/オカダミノル(飛騨市観光プロモーション大使)
イラスト/波岡孝治(のみながらにがおえ師)
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