New Year Cross Talk ノーベル生理学・医学賞 受賞
長浜市長 浅見 宣義 × 大阪大学特別栄誉教授 坂口 志文


市長 ノーベル生理学・医学賞のご受賞、心よりお祝い申しあげます。世界中から注目されご多用の中、ふるさとである長浜にお帰りいただき、誠にありがとうございます。10月6日にノーベル生理学・医学賞受賞が発表された際には、ここ長浜市でも大きな反響があり多くの市民が大きな感動を覚えました。坂口先生ご自身、受賞とその発表時の状況についてどのようにお感じになられましたか?
坂口先生 ここ10年近くは、発表時には大学で待機するのが恒例となっていました。ノーベル財団からの電話で受賞を伝えられた瞬間は、やはり嬉しかったです。一方で、ノーベル賞は非常に広い科学の世界の中で、最大3人しか選ばれないということで、私は『宝くじ』のようなものだと考えていました。取れれば光栄ですが、取れなくても仕方がないという思いを持ちながら過ごしていました。今回選ばれたことは非常に幸運でしたね。
市長 坂口先生の喜びが伝わってきます。奥さまの教子(のりこ)先生の反応はいかがでしたか?
坂口先生 妻は『ついに来た』と喜んでいました。私たちは研究で共同執筆した論文が10本以上あり、家庭だけでなく研究においても二人三脚でやってきましたから。
市長 夫婦で研究を進める姿はとても素晴らしいと思います。そのようなお二人は、家庭だけでなく研究においても現代の新しい夫婦の形を示されていますね。
坂口先生 そう言っていただけると嬉しいですね。私たちの世代では男性社会の色が濃かったですが、男女が共同で活動する意識が広まってきた時代でもありました。教子も私の研究や学生への講義を横から助けてくれていました。最近では、私たちの仕事が『社会実装』、つまり人々に役立つ研究に重点を置くようになったので、教子がアメリカで免疫系のスタートアップ企業を支える立場を私よりも担ってくれています。
市長 社会への貢献、未来への期待というのは坂口先生の研究には常に含まれているようですね。その具体的な内容について教えていただけますか?
坂口先生 私たちが取り組んできた制御性T細胞の研究は、人の身体の中で働く免疫系を『調整』する技術の開発に繋がっています。例えば、がん治療では制御性T細胞を減らすことによって、免疫の力を向上させ、がん細胞を攻撃する力を強くします。また、アレルギーではその逆に、制御性T細胞を増やすことで炎症を抑えられます。この技術は、未来の医療を大きく変える可能性を秘めています。
市長 聞けば聞くほど画期的な研究ですね。そして、科学が経済や日常生活にも影響を与える側面があるというのは、本当に心強く思います。
坂口先生 そうですね。ただ、現時点では一人ひとりの血液からリンパ球を取り出し、制御性T細胞に転換させる細胞療法が中心で、時間もコストもかかるという課題があります。しかし、将来的には、飲むだけで効果を発揮する薬を開発し、身近な治療にすることが理想です。たとえば、花粉症の季節にはそれを服用することで症状を抑える、がん治療では免疫応答を強くして転移を防ぎ、がんが『通常の病気』となる未来に近づけたいですね。
市長 科学の進歩がもたらす可能性を感じます。坂口先生が研究を進めるうえで大切にされていることなどを教えていただけますか?
坂口先生 私が一貫して注目してきたのは、免疫系の働きの両面性です。本来、体を守るはずの免疫が過剰反応することで自己を攻撃してしまう、こうしたメカニズムへの興味が研究の原点です。マウスを使った実験から出発しましたが、今回一緒に受賞したアメリカの研究者たちの研究内容と、制御性T細胞を結び付けることができました。このように基礎の研究が医学の進歩と結びつき、徐々に社会の役に立ってきたことが私の最大のモチベーションです。
市長 研究の過程において直面した困難や、それを乗り越えたエピソードをお伺いできますか?
坂口先生 実は私たちの研究というのは、免疫学では主流ではない考え方から出発していまして、少し異端とみなされることもありました。従来の主流の考え方というのは、「悪さをする免疫細胞は正常な状態では存在せず、何らかの異常で発生した場合に病気を引き起こす」というものでした。ですが、私たちの研究が示したのは、「実はどんな人にも悪いことをする免疫細胞は存在しており、それを抑えるものもまた存在している」ということです。そして、その抑える側の何かを「制御性T細胞」だと突き止めました。その証明には時間がかかりましたし、多くの議論がありましたが、研究を進めるうえでの土台が揺らぐことはありませんでした。また、私たちの研究は主流派ではなかったため、大きな研究費を得るのは難しかったです。でも、アメリカの懐の深さに助けられました。たとえば民間のファンドや、有志の方々が提供する奨学金などに次々と応募し、8年間ほど安定した研究資金を確保することができました。帰国後は、日本でも若い研究者を独立させることを目的にしたプロジェクトが開始されており、その第一回に応募したところ通りまして、日本での研究も軟着陸することができました。次第にポストにも恵まれ、京都大学や大阪大学といった場で研究を進めてまいりました。
市長 坂口先生のポジティブな性格も、研究を続けてこれた理由のひとつでしょうか?
坂口先生 そうですね。楽天的な性格が助けになったのかもしれません。妻には「うどんのような神経」と言われておりまして、図太さがあるという意味ですね(笑)。
市長 坂口先生の偉業は、ここふるさと長浜の皆さんに大きな希望と誇りを与えてくださいました。この機会にぜひ、未来を担う子どもたちへのメッセージをお願いします。
坂口先生 疑問を持つことを恐れず、それを『問題』にまで練り上げ、深掘りしてください。そして焦らずに時間をかけて考え続けることが大切です。また【うんどんこん】(運・鈍感・根気)の3つを持ち合わせることが人生を豊かにする鍵になると私は感じています。ある時には外の情報を遮断する鈍感さも大事で、またある時には扉を開けて皆と一緒に続ける根気も大事で、運と合わさってその先に一つの道が見えてくるものなんです。
市長 奥さまと一緒に偉業を達成されたということで、特に若い夫婦や若い男女に向けたメッセージをいただければと思います。
坂口先生 私たちの場合は特殊だったのかもしれませんね。基本的に同じ研究をしており、一緒に取り組んでいましたので、仕事上の悩みや課題もお互いに共有できました。そういう意味で、考え方が違って衝突するような場面はあまりなかったんです。若い人たちにはぜひ、2人でやれるような目標や共通の挑戦を持つといいなと思います。夫は夫、妻は妻という別々の人生ではなく、一緒の人生として何かを作り上げる。その時、お互いの知恵を組み合わせることで、より良い結論やアイデアが生まれることもあるんですよね。一人ではなく二人で同じ方向を向いて歩むことで、夫婦の幸福と言えるのではないでしょうか。
市長 今後さらにどのような目標や挑戦を描かれているのでしょうか?また、先生が思い描く未来像や、今回の受賞が医学分野に与える影響について、ご見解もお聞かせください。
坂口先生 私の場合、医学を中心に取り組んできましたので、やはり病気を予防し、治療を進めることが目標です。具体的には、私たちが研究してきた制御性T細胞を活用し、いかに治療に役立てていけるかを考えています。例えばがんという病気については、完全に取りきれなくても、共存しながら普通の寿命を維持できる未来があるのではないかと。自己免疫疾患やアレルギーについても、これらをもっと簡単に治療し、予防できる術を見つけていきたいと思っています。
市長 それは本当に大きな挑戦ですね。がんやアレルギーが予防できれば、健康で笑顔にあふれる社会になると思います。坂口先生の基礎研究や教育による貢献が、未来に向けて若者たちへの希望の灯となることを願っております。
なにかあれば ここ長浜は帰ってくる場所
11月7日に開いた「坂口志文先生のノーベル生理学・医学賞受賞お祝いの会」で長浜にお越しいただいた坂口先生。「ふるさと長浜は、自転車で走るとびわ湖や伊吹山まで遊びに行ける自然の豊かさがあり、豊公園や小谷山など歴史的にも恵まれている。そういった環境で育ってこれたことがよかった。」と仰っていただきました。
本当に納得できる知識を得るためには時間がかかる
焦らずに続けて 前に進んでほしい
「50年近く研究を続けてこれたことが、今回のノーベル生理学・医学賞の受賞につながった。スポーツやお稽古ごと、勉強に関わらず、何事も続けることが大事。今はインターネットなどで簡単に検索できてしまう時代だが、自分で考えて自分が納得できるようにそして継続すること、それが今皆さんに特に若い人たちにお伝えしたい。」
Message from Shimon Sakaguchi
【 素心 】
初心を忘れないように、と坂口先生が常に大切にされているお言葉
【 ひとつひとつ確実に 】
若い人に向けて、坂口先生からエールを込めたメッセージ
Profile さかぐち しもん
昭和26年1月生まれ、長浜市曽根町出身。
びわ南小学校、びわ中学校、長浜北高等学校、京都大学医学部卒業。
大阪大学免疫学フロンティア研究センター特任教授(常勤)(現職)。
今回の受賞決定を受けて、大阪大学特別栄誉教授に。
これまで、文化勲章やガードナー国際賞、クラフォード賞など国内外で多数の栄誉に輝く。
